https://twitter.com/rilakkuma_gyr/status/1234675120766996480?s=20
2020年3月15日(日)まで、サンエックスの「ようせい」が魔法の言葉を募集しているようです。
サンエックスの四つ葉と言えば、まさに企業ロゴ。
企業ロゴは、その会社の基幹となる大切なメッセージを社会へ発信する大きな役割があり、そのロゴが四つ葉のキャラクター「ようせい」に変わろうとしているらしい。(企業ロゴ自体を変えてしまうかは不明)
そして、「ようせい」が発する言葉をサンエックスが募集をしている。
これは企業全体のイメージを決める話に近く、よくある「デザインの一般公募」とは、事の重大性が全く違う。
これは一大事だ…
そこで、「ようせい」というキャラクターを考える前に、「四つ葉」という存在について少しだけ深掘りし、色々な角度から考え方の補助線をいくつか提案していきたいと思っています。
これは自分のために書くというより、サンエックスの経営陣でもなく、サンエックスのデザイナー陣に向けて書きます。
小さい頃から絵を描いてきて“普通の社会”にあまり馴染む事が出来なかったであろうデザイナーの方々は、きっと理解してくれると思うので。
目次
- 四つ葉という存在を考える上で参考になる倉嶋厚さんの文章
- 視座の違いで「奇形」と「祝福」に変わる四つ葉という存在
- 痛みを知った存在だからこそ、真に周りを癒す事が出来る
- 傷つけられた状態から、今までの三つ葉に戻ろうとするのではなく、その時点での最適な「四つ葉」という状態を目指す凄さ
- ようせいちゃん=ダンボに出てくるねずみ「ティモシー」仮説
- 【四つ葉は動けない】すみっコのキャラとようせいちゃんは、どちらがボロボロか?
- すみっコぐらしについて
- ようせいちゃんに「逃げればいい」と言わせられるか?問題
- 【風向きが変わり始めた!?】『逃げろ!』というニュアンスを伝える映画が増えてきた話
- 【最後に】ここまでの補助線をまとめてみたいと思います
四つ葉という存在を考える上で参考になる倉嶋厚さんの文章
四つ葉という存在を考える上で非常に参考になるのが、以下の倉嶋厚さんの文章です。
まずはこちらから読んでみてください。
公園のクローバーが一面に白い花をつけ始めた。和名はシロツメクサ。オランダツメクサとかオランダゲンゲともいう。ヨーロッパ原産でオランダで牧草化された。江戸時代にオランダから送られてきた荷物の包装のパッキングにこの草を乾かしたものが使われていたところから、ツメクサ(詰め草)の名がついた。紅紫色(※こうししょくと読み、マゼンダ色)のものもあり、この方はアカツメクサ。
校庭で四つ葉のクローバーを見つけた思い出は、ほとんどすべての人が持っている。三つ葉はキリスト教の三位一体、あるいは信仰、希望、愛を表し、四つ葉になるとそこにもう一つ幸福が加わるというのが、四つ葉が珍重される理由である。花ことばは「幸福」あるいは「私のものになって」。いくぶんかは誘惑の意味も持っている。だが、四つ葉はクローバーの生長点が傷つけられるためにできた奇形。だから人に踏まれる道ばたや校庭に多い。
ー倉嶋厚『季節おもしろ事典』P77より引用
視座の違いで「奇形」と「祝福」に変わる四つ葉という存在
上の文章の中で、一番重要だと思うのが、以下の
だが、四つ葉はクローバーの生長点が傷つけられるためにできた奇形。だから人に踏まれる道ばたや校庭に多い。
という、この部分。
クローバーの視座から見た四つ葉は、「痛みの象徴」
四つ葉というのは、生長点が傷つけられた個体である可能性が高いという事を知った時は、本当に驚きました。
人に踏まれたりして(もしくは、軽トラックに踏まれたり等もあり得そう)生長点が傷つけられ、その個体から四つ葉が生まれる。
まさに「痛みの象徴」と言えるかと。
クローバー(大多数の三つ葉たち)の視座から四つ葉を見てみると、「傷ついたやつ」「みんなと違うやつ」と三つ葉たちに言われているかもしれません。
人間の視座から見た四つ葉は、「祝福」
そんな辛い境遇の四つ葉ですが、人間の視座から見ると「祝福」として受け入れられます。
視座の違いによって「痛み」と「祝福」に大きく振れるというこの二面性が、まさに四つ葉の最大の特徴だと自分は考えます。
痛みを知った存在だからこそ、真に周りを癒す事が出来る
https://twitter.com/rilakkuma_gyr/status/1234675120766996480?s=20
こんなにかわいい「ようせい」ちゃんですが、ここまでの四つ葉の成り立ちの話から考えると、「過去にボロボロに傷つけられた」可能性が高そうです。
最初は、「えっ?」と考えてしまいましたが、今では「過去にボロボロに傷つけられた可能性が高い」という事で腑に落ちています。
というのも、ようせいちゃんが普通にぬくぬくとこれまで生きてきただけで、真の癒しを周りに与える事が出来るとは到底思わないからです。
すみっコのキャラを考えるとわかりやすいかと思います。
本当の正体がバレるとやばいとかげ
寒さに弱いのに北に住んでいて、そこから逃げてきたしろくま
食べ残されて捨てられそうになった所を逃げたえびふらいのしっぽととんかつ(確かこういう流れだったよね?)
頭にお皿があったけど今はない 自分が何者かを知りたいぺんぎん?
etc…
それぞれがなかなかの辛い過去を持っています。
そんな彼らを前にして、もし四つ葉が「普通に生きてきた」だけだったら、彼らに四つ葉の言葉は響かないと思います。
「自身が傷を負いながらみんなと(他の三つ葉たちと)違う状態」で、生命力を発揮しながら生きている「ようせいちゃん」だからこそ、すみっコ達を癒す事が出来る。
こう考えると、ようせいちゃんの癒しの力の全てが腑に落ちてくるのです。
傷つけられた状態から、今までの三つ葉に戻ろうとするのではなく、その時点での最適な「四つ葉」という状態を目指す凄さ
傷つけられた状態から「三つ葉に戻ろうとする(普通に戻ろうとする)」のではなく、その状態から考えての最適な姿「四つ葉」になろうとしている事も地味に凄いと感じます。
というのも、人間が傷つけられた後は、出来るだけ前の同じ状態に戻ろうとするのが普通の心の動きだと思うからです。
ここには「世間体(周囲の目)」が大きく関わってきます。
四つ葉も「世間体(三つ葉達の目)」がある中で、「周囲の目を気にして三つ葉の姿に戻ろうとした」のではなく、世間体を一旦忘れ、その傷つけられた状態での「最適解」の方向(世間体は気にしない方向)に進みました。
その強さも忘れてはいけないでしょう。
ようせいちゃん=ダンボに出てくるねずみ「ティモシー」仮説
これまで書いてきた事を踏まえて、ようせいちゃんという存在を考えてみると、「ダンボ」というディズニー作品に出てくる「ティモシー」というキャラクターと似たところがあると、自分は考えます。
実は階層のトップ付近にいるダンボというキャラクター
ダンボという作品と聞くと、多くの人が「周りのゾウと違ったダンボというゾウのキャラクターが、そのマイナスのコンプレックスを活かして努力し、最終的に一花咲かせる」みたいな話を想像するかと思います。
もちろんそれでもいいですが、そこには大きな見落としがあるのです。
実は、ダンボというキャラクターは、ゾウ自体がサーカスの中においてのスタープレイヤーなので、「動物園全体」からヒエラルキー(序列・階層)を見た時に、限りなくトップに近い層に属しています。
要は、「ゾウ」の中では虐げられる存在のダンボですが、「動物園全体」から見てみるとかなり優遇されている存在なんですね。
最下層でボロボロになりながら励ましの言葉を送るねずみの「ティモシー」の強さ
ダンボにはもう一人ねずみの「ティモシー」というキャラクターが出てきます。
実はこのティモシー、動物園全体から見た時のヒエラルキーが最下層だと思われる描写がチラホラ出てきます。
例えば、ゾウ達に見つかったら『ねずみよーー!!!』と言われて避けられるetc…
動物園全体で一番差別をされて迫害を受けている存在がティモシーであると、映画の中で暗に示されています。
そう、ティモシーはボロボロなんです。
そんなティモシーが何をするか?
ティモシーはダンボーに励ましの言葉をかけ続けます。
なかなか出来る事ではありません。
ダンボのクライマックスは、すみっコぐらしの理想のあり方
ダンボのクライマックスは、「最後にダンボがサーカスで飛ぶ」場面を想像する人が多いと思いますが、もうひとつその前にクライマックスがあります。
それは、ダンボとティモシーが空を飛ぶ練習をしている所にカラスがやってきて、ダンボをバカにする。それをティモシーが庇い、『おまえ達も迫害されているのに、なんで馬鹿にするんだ!』と言って、(正しい言葉は覚えていませんが、こんな感じの事を言う)カラスが涙を流す。そして、カラスも加わってダンボの練習に協力する。
ここがもうひとつのクライマックスです。
カラスが涙を流したのはなぜか?
カラスは「黒人」の比喩的存在だからです。
カラス達の服装を見れば、それがわかります。
つまり、カラスも虐げられた存在。
ダンボは、マイノリティーとしての虐げられた存在(ダンボ・ティモシー・カラス)が協力・連帯し、何か新しい事を作っていく作品なのです。
その核となるのがまさしくねずみの「ティモシー」で、『一番ボロボロでありながらも誰よりも一番励ましの声を与え続ける』そんな素晴らしいキャラクターです。
長くなりましたが、サンエックスのようせいちゃんは、「ティモシー」のようなキャラクターでいてほしいと願います。
ダンボやカラス達の「マイノリティーとして虐げられた存在」は、そのまま「すみっコぐらし」のキャラに対応します。
前の居場所が合わなくて、逃げてきた過去を持つ多くの「すみっコ」キャラ達
そんな「すみっコ」達が集まって、色々なテーマの中で新しい「居場所」を作って連帯して生きていく
その中心には、一番ボロボロだけど癒しの力を与え続ける「ようせいちゃん」がいて…(企業ロゴなので、ここを「サンエックスがいて…」でも良いかと)
というのが、すみっコぐらしの各テーマの根幹に根付く考えであってほしいなと願います。
【四つ葉は動けない】すみっコのキャラとようせいちゃんは、どちらがボロボロか?
四つ葉は植物なので動けません。
この“動けない”というのも、ひとつのキーワードになってくるかなと思います。
対になるのは、すみっコ達の多くが行った“逃げる”という行為。
「すみっコのキャラとようせいちゃんは、どちらがボロボロか?」と聞かれれば、上記の違いにより、自分は「ようせい」ちゃんの方がボロボロなのではないかと考えます。
すみっコぐらしについて
話がどんどん脱線している感じですが笑、色々な考え方の補助線を出す事をしたいので、このまま続けようと思います。
お次は、すみっコぐらしについてです。
サンエックスの企業ロゴを考える時に、すみっコぐらしの事を考えないわけにはいきません。
2019年のすみっコ映画の大ヒットを皮切りに、『なぜすみっコぐらしがここまで現代の人々の心をとらえるのか?』
そこには、時代が求めているものが詰まっていると思うのです。
なので、「すみっコぐらし」を少し掘り下げる事で、ようせいちゃんの方向性(企業の方向性)を考えてみたいと思います。
すみっコぐらしの核となるテーマ
①逃げる(前に所属していた場所から逃げる・離れる)
②自分の居場所(小さな場所)を作る
③集まって連帯・協力して生きる
自分が考える「すみっコぐらし」のテーマは、この3つです。
「合わない場所」にいてそこから逃げ、逃げてきたマイノリティー同士で集まる。その上で、みんなで連帯して生きていく。
これが「すみっコぐらし」の核というか裏テーマだと、自分は考えています。
子供達が抱える「逃げたい」願望
小学生の間で「すみっコぐらし」が人気となった背景に、今の学校生活の息苦しさが関係している事は間違いないでしょう。
「親を尊敬しているか?」「先生を信頼しているか?」「自由に振る舞えるか?」「自分が価値のある人間だと思うか?」etc…
色々な所で統計の数値の低さが出ていて、学校の息苦しさの話は出来るのですが、長くなるので割愛汗。
ここでは、「逃げる」「逃げたい」という願望についてフォーカスして考えてみたいと思います。
ようせいちゃんに「逃げればいい」と言わせられるか?問題
サンエックスが企業として、ようせいちゃんに魔法の言葉として「逃げればいい」と言わせる事は可能でしょうか?
ここが一番難しい所だと、自分は感じています。
『嫌な場所はすぐにでも離れて、多くのすみっコ達のように自分の居場所を探しに行けばいい』
こういう風にストレートに言えれば、子供達に勇気を与えるのは間違いないでしょう(ストレートに言い過ぎか!?)
ただ、おそらくこれは言えない。
よこみぞゆりさんのすみっコぐらしの本を読んだ時も、『嫌な合わない場所から逃げなさい』というメッセージが強く出ているかどうか?に注目して見ていましたが、あまり出ていなかったかと…
よこみぞさんも、『逃げろ』というメッセージを入れるかどうか?迷ったのでは無いかと思います。(勝手な妄想ですが笑)
自分が、もしもすみっコぐらし関連のデザインに関われるなら、「逃げよう」「逃げた先で仲間を探そう」「合わない人間とずっと一緒にやっていく必要はない」みたいなメッセージを入れようともがくと思います。
ただ、直接的にそれを伝える事は出来ないから、少しだけでも入れられないだろうか…
と考え、断片的に暗喩としてそのメッセージを潜り込ませるだろうな、きっと笑
抜け出せない理由は、ほとんどお金
「抜け出せない」「逃げられない」ほとんどの理由は、お金です。
だからこそ、気軽に「逃げればいい」と言えない。
ましてや、「小学校から逃げる・移る」となるとお金だけでなく、精神面での負担も大きい。
ようせいちゃんに「なんとかしてその場所にいる理由を作ろう!」とか「最小のエネルギーでその集団の逆鱗に触れる事なく表面上だけ従順にした上で、自分の仲間を探そう!」と言わせるのは夢がない笑
居場所がない時、逃げられない時に取れる行動として、以下の3つのようなものが考えられます。
①集団の中で、なんとかしてそこにいる理由を作り上げる。(その上で、別の集団・仲間を探し続ける)
②それでも逃げる。別の集団・仲間を探す。
③最小のエネルギーでその集団の逆鱗に触れる事なく表面上だけ従順なメンバーとなって時間を作る。(その間に、別の集団や仲間を探す)
ただ、ようせいちゃんにこれを言わせるのは、あまりにも夢がない笑。
魔法の言葉は、『あまり現実的過ぎず、それでいて示唆にも富み、子供達が毎日を生きやすくなる』内容が望ましいかと。
あぁ…
なんて難しい笑。
【風向きが変わり始めた!?】『逃げろ!』というニュアンスを伝える映画が増えてきた話
心では「逃げろ!」と思っていても、それでもやっぱり『逃げろ!』と、あからさまには言えないよなぁ〜と、デザイナーの人達は思うかもしれません。
しかし実は、2019年頃から『嫌な場所・古い慣習から逃げろ!』『今社会がおかしいのは、君たち子供のせいじゃない』というメッセージを伝える映画が増えてきました。
これはつまり、『置かれた場所で咲きなさい』の対極となる内容の物語です。
そういった内容の映画を、ここで少し紹介したいと思います。
ディズニー『モアナと伝説の海』
ーモアナが住んでいる村には掟があり、モアナはその掟を両親から口酸っぱく言われている。それが呪いとして機能。ある時、亀?を助けた時に、海に気に入られる。その後、自分の意思で掟を破り、それが呪いを解く方向に力をもたらし、海の特別な力を手にいれる。その先々で、本物の祖先達(亡霊?)と合流。
といったようにモアナは、『嫌な場所・古い慣習が呪いとして機能』した状況の中で、『自分の意思で飛び出してそれが祝福となり、留まっていたものが持っていない特別な力を手にいれる』タイプのお話です。
『ダメな親や環境から離れなくてはいけない!』みたいな事を言っているようなものなので、これをディズニーが言ってしまうのが凄いですよね笑。
『天気の子』
絵柄で避けている人も多いかもしれませんが笑、『万引き家族』に近いものを感じた作品。
東京を徹底的に細かく描写する事で、いかにこの社会が終わっているかを見せつけられる。その上で、新海誠監督が子供達に『この社会が終わっているのは、君たちに何の責任もない。選択の余地すらないところに君たちは生まれてきた。君たちが楽しそうにしていても何の問題もない。』というエールを子供達に贈った内容だと、自分は考えてます。(というか、こういった内容のことをパンフレットやインタビューでハッキリと答えています笑)
若者は絶対に見た方が良い。
『今の自分が子供になって、今の学校に行ったら…』と考えるだけでゾッとしますが汗、学校も社会も政治も自然環境も「調和」の方向に戻る気配がありません。(マクロでは無理)
それを踏まえてこの映画では、次の世代の子供達に向けて『マクロで調和が戻らない世界になってしまったのは君たちに責任はなく、君たちは選択の余地さえなかった。選択の余地がなかった子供達が引け目を感じる事なく、むしろその中で新しいものや新しい関係性を作って行ってほしい』というエールを贈る。
こんな勇気のいるメッセージを送った新海誠監督はすごいなと思います。
このように、『元々壊れていることを若い人に伝え(それがエールになる)、その上で新しいものを生み出していこう』という文脈のメッセージも、ようせいちゃんの言葉として使えると感じます。
【最後に】ここまでの補助線をまとめてみたいと思います
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ここまでの「ようせいちゃんの言葉」を考える時の補助線をまとめてみたいと思います。
- 四つ葉はクローバーの生長点が傷つけられるためにできた奇形。だから人に踏まれる道ばたや校庭に多い
- 視座の違いによって「痛み」と「祝福」に大きく振れるという四つ葉の二面性
- ようせいちゃん、実は過去にボロボロに傷つけられた可能性が高い(踏まれたりトラックに轢かれたりして四つ葉になった可能性が高い)
- ボロボロに傷つけられた存在だからこそ、真に周りを癒すことができる可能性
- 「世間体(三つ葉達の目)」がある中で、「周囲の目を気にして三つ葉の姿に戻ろうとした」のではなく、世間体を一旦忘れ、その傷つけられた状態での「最適解」の方向に進んだ四つ葉(世間体は気にしない方向)
- 四つ葉は“動けない”
- すみっコ達の多くは“逃げた”
- 関わりたくないやつや、そんな環境とは無理に関わらなくても良い(逃げるの真意)
- 『置かれた場所で咲きなさい』の逆のメッセージを子供達に伝える
- 一番ボロボロでありながらも、誰よりも一番励ましの声を与え続けるようせいちゃんになってほしい
- 『避けられない・逃げられない』ほとんどの理由はお金
- 『逃げろ』と言えるかどうか?問題
- ただ、『逃げろ!』や『社会がおかしい事に対して選択の余地のなかった子供達は何も悪くない』というメッセージの映画はどんどん増えてきている
- あまり現実的過ぎず、それでいて示唆にも富み、子供達が毎日を生きやすくなるメッセージ
- 自分達の居場所を作る
- 小さな場所を作る
- ミクロから集まって連帯・協力して何かを作っていく(マクロでは無理)
- マクロではもう、この世界は回復しないかもしれない
- 君たちは選択の余地がなかっただけで何も悪くないというメッセージ
- 不況だろうが何だろうが君たち子供達が楽しそうに毎日を生きていても何の問題はないというメッセージ
- 『そもそも狂っている』(絶望)をスタート地点として始める
- 子供達の生きづらさ・閉塞感を少しでも減らしてあげる方向性
こんな所でしょうか。
最終的にどんなメッセージが選ばれるのかはわかりませんが、「次の世代の子供達」の閉塞感が少しでも和らぎ、そのメッセージも上辺だけの役に立たない陳腐な言葉でなく、真に子供達の支えとなるメッセージが生まれる事を願っています。
自分も3個くらい出す予定です。
皆さんもぜひ投票してみましょう。